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京本大我の母や兄弟について!意外な幼なじみやデビューのきっかけは?

京本大我の母や兄弟について!意外な幼なじみやデビューのきっかけは?

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SixTONESのメインボーカルであり、ミュージカルなどの舞台でも活躍している京本大我。京本大我といえば、母親や父親も芸能人であることから、坊っちゃんだと言われることも多くあります。そんな京本大我の母や兄弟について紹介していきたいと思います。また、幼馴染みとして意外な人物が知られています。デビューのきっかけとともに紹介していきます。

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京本大我の母は芸能人?

京本大我の母は、アイドルグループの山本博美です。京本政樹との結婚を機に、芸能界は引退しており、現在は京本博美と言います。そんな京本大我の母の経歴を紹介していきましょう。

山本博美の経歴

1980年に『ヤングおー!おー!』という当時の人気番組のアイドルコンテストで優勝しました。その後1982年に「きゃんきゃん」のメンバーに選ばれたのです。センターとして1年程活動し、「きゃんきゃん」は解散しました。解散後は、ドラマや深夜番組の司会などをしています。1988年に京本政樹が座長を務める舞台で共演したのをきっかけに、2年程の友達関係を経て、交際したのです。そして、1992年に結婚し、芸能界を引退し、専業主婦となりました。

京本大我に兄弟はいるの?

京本大我に兄弟はいません。一人っ子であると数々の雑誌やYouTubeで話しています。そんな一人っ子エピソードを紹介していきます。

一人っ子エピソード

2024年6月にSixTONESとして、出演した『週刊ナイナイミュージック』でメンバーから楽屋のソファーでの京本大我の行動について苦情がありました。2個しかソファーがない場合、メンバー6人居れば3:3で座るなど考えるが、京本大我は一人で使っているというのです。

1個のソファーに物を広げ、荷物でソファーを埋めた後、もう一つのソファーに座っていたそうです。そこでの京本大我の反論が、「一人っ子で実家で育ってきて、基本的に、ソファにものを広げても、それ以外の場所でだらんと寝てようと怒られる環境にいなかったんで」と弁解したのです。正しく一人っ子ならではの話ではないでしょうか。

意外な幼なじみとは?

京本大我と幼なじみと公表している人物は、SnowManの佐久間大介とHey!Say!JUMPの山田涼介です。では、詳しくどのような関係なのか紹介していきます。

SnowManの佐久間大介

京本大我と佐久間大介は、母同士が同じアイドルグループで活動していました。上記でも述べたように京本大我の母は、山本博美で、佐久間大介の母は、桜井直美です。そのため、京本大我が生まれた時から、二人は交流があったのです。

2020年に生配信されたデビュー日決定の配信でも、京本大我は「生まれた時から知っている。出てきたら佐久間がいた」と話しています。一方、佐久間大介も「京本家で鬼ごっこしたりした」と話しています。また、2021年に雑誌で佐久間大介は、「事務所に入った次の年に幼馴染だった大我が入ってきた。背後から声を掛けたら、振り向いた大我が大ちゃんと言った。久しぶりの再会だった」と話したのです。幼少期に遊んでいたが、年齢が上がるにつれてそれぞれの生活となった後、再会し、現在も良好関係を築いているのでしょう。

Hey!Say!JUMPの山田涼介

山田涼介と京本大我は、幼なじみと言えるかは分かりませんが、幼少期に公園で一緒に遊んでいたそうです。実際に京本大我もテレビ番組で、事務所に入る前から山田涼介と遊んでいたと話しています。また、事務所入所後、山田涼介より、「京本政樹の息子と遊んだことがあるってお母さんが言っていたけど、それって大我のこと?」と聞かれたのです。京本大我は覚えていなかったことから、母に聞いたところ事実だったとのことです。お互いに覚えてはいなかったようですが、母に聞いたところ事実だったのです。そんな二人が、事務所で出逢ったのは、奇跡的な出会いだったのかもしれません。

デビューのきっかけ

京本大我は、2021年1月22日にSixTONESとしてデビューしました。では、デビューのきっかけとなる事務所に入るきっかけは何だったのでしょうか。京本大我は、2006年に事務所に入所しました。一般的には、オーディションを受けて入所する人が多いですが、京本大我の入所は、特徴的です。どのように入所したのか紹介していきます。

事務所入所の経緯

京本大我は、ジャニー喜多川氏のスカウトにより2006年に入所しました。スカウトされる理由となったのが、ハワイの飲食店です。京本大我は幼少期正月などハワイによく訪れていました。そのハワイの飲食店で、店主との2ショット写真を撮影したところ、その写真が店内に飾られていたのです。その写真を見て、ジャニー氏が、店主に誰なのか確認したところ、京本政樹の息子ということが分かりました。京本政樹へ連絡し、父親とともに舞台などを見に行ったそうです。すると、京本大我も興味を持ち、一人でも通うようになりました。そして、入所前ながら、見学していたKAT-TUNのライブに急遽出演したこともあります。そこで自分もしたいと思い、事務所に入所したのです。では、その後どのようにSixTONESが結成され、デビューに至ったのでしょうか。

SixTONES結成のきっかけ

京本大我は「Kitty.jr」というグループに所属していましたが、そのグループが消滅後は、一人で活動していました。そんな彼がSixTONESを結成したきっかけは、「私立バカレア高校」というドラマでした。そのドラマには、現在のSixTONESのメンバーがメインで出演しており、当時は人気も出て、バカレア組としてライブをするなど6人で活動していました。しかし、正式にグループとなることはなく、自然と2人対4人と分かれていったのです。当時高校生でしたが、時間がたつにつれ、色々進路も考えるようになったのです。また、京本大我は、家庭教師もつけており、京本大我  学歴は優秀だったそうです。それもあり、京本大我は違う道も必要かと考え、退所することも考えていました。しかし、メンバーであるジェシーの「もう一度6人で」という声かけの元、6人が再度集まり、最後のチャンスと思い、6人でやりたいと社長に直談判に行ったのです。そして、認められSixTONESの結成となりました。

まとめ

今回は、京本大我の母や兄弟について、幼なじみやデビューのきっかけについて紹介しました。京本大我は両親ともに芸能人であり、一人息子として可愛がられていたことが分かりました。また、同じ事務所内に家族ぐるみで仲が良い、幼なじみである佐久間大介がいます。その二人が同時デビューできたことは、母たちにとっては、自身の夢をかなえてくれたようだったのかもしれませんね。SixTONESのデビューまでは苦労もありました。現在の地位を確立するまでの困難も、原石が輝くために必要だったのかもしれません。今後の活躍も楽しみにしていきたいと思います。

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